名古屋高等裁判所金沢支部 昭和34年(う)105号 判決 1960年2月16日
被告人 石田喜作
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
記録によれば原判決は其の挙示の証拠を綜合して「被告人は、かねてより日本国有鉄道に勤務し、昭和二十九年四月以降は、金沢鉄道管理局高岡機関区詰機関士として、同機関区配属の機関車運転の業務に従事していたものであるが、昭和三十二年五月三十日午後八時六分頃、金沢発直江津行下り第二九七貨物列車のD五〇・二〇〇号機関車を運転して石川県河北郡北陸本線森本駅構内『下り一番線』に到着した。ところで同列車は、同駅『中線』に停留中の貨車一両を連結の上発車することになつていたので引き続き右貨車増結作業に従事したのであるが、此のような入換作業をなす場合、国鉄では通常各停車駅の駅長又は当務駅助役が入換方法、構内各路線使用の順序及び時期等を決定して、機関士、操車掛車掌、駅転轍手、駅連結手等にこれを伝達指示し(「打合せ」とも称する)此の打合せに従つて作業を進めることになつているのであつて、右列車が『下り一番線』に到着した際にも、あらかじめ森本駅当務助役萩外一によつて作業順序等の指示がなされ、被告人に対しても操車掛車掌名畑健二の指揮監督下にあつて其の職務を見習いのため代行する車掌見習高野昭雄によつて、その伝達がなされたのであるが、森本駅では『下り一番線』から「中線に入るためには『下り本線』を経由しなければならない関係上、順序として、その頃右『下り本線』を通過する上野行下り第六〇二急行旅客列車(ほくりく号)の通過前に機関車を『中線』に入れて、前記停留貨車を連結し、其の場で待避の上、右急行列車通過後に発進して『下り一番線』に引上げ入換作業を指示されたのであつた。然るに被告人は軽卒にも前記打合せの際、右急行列車通過前に急いで下り本線経由、下り一番線に直り、本編成をするように指示されたものと速断していたため、自己の乗務機関車を『中線』に入れて停留貨車一両の連結作業を終えた直後、『中線』を引上げ『下り一番線』に戻ろうとして、直ちに発車前進しようとしたが、機関士としては此のような駅構内入換作業中に機関車を起動する際には、必ず操車係車掌の合図に従い、これを確認の上、其の指示誘導に従つて運転し(日本国有鉄道「運転取扱心得」第八十一条第八十三条、証第三号参照)もつて手違いによる脱線、顛覆等不測の事故を防止すべき業務上の注意義務があるにも拘わらず、之を怠つて、操車掛車掌名畑健二又は同見習高野昭雄が何ら規定どおりの発車合図をしないのに、漫然機関車を発車前進させた過失によつて、同八時二十分頃前記下り急行列車通過の関係上、未だ同駅構内第三十三号(イ)転轍器が、『下り本線』に通ずる状態になつていない(即ち反位の状態)『中線』をそのまま進行し、同線が『上り』『下り』両本線に分岐する右第三十三号(イ)転轍器附近に至り、はじめて同転轍器が「上り本線」に通ずる状態(定位の状態)にあることを直感し、直ちに急制動措置をとつたが、間に合わず、そのまま『上り本線』に向つて前進し、同駅構内第三十四号転轍器附近において、折柄同所の『上り本線』を通過しかかつた大阪行上り第五一四旅客列車の第九両目以下第十二両目迄の客車に、自己の運転する機関車の前梁右端、右側蒸気室附近を接触衝突させて、右客車四両の側壁を破壊脱線させ、うち第十一両目客車を横に顛覆大破させると共に(損害総額約二千四百七十万円)同列車に乗合せていた乗客吉室元輔外三十一名に対し、それぞれ傷害を負わせるに至つたものである」旨認定し、被告人の判示所為中、業務上過失汽車顛覆の点は刑法第百二十九条第二項罰金等臨時措置法第三条第二条に、業務上過失傷害の点は刑法第二百十一条前段罰金等臨時措置法第三条第二条に該当するものとし刑法第五十四条第一項前段第十条により吉室元輔に対する業務上過失傷害罪の刑に従い、禁錮刑を選択し、被告人を禁錮六月に処したものであることを認め得る。弁護人所論の要旨は「第一、本件打合せの内容は『第三一列車発車後下り本線使用一両連結、連結後下り本線引上げ本編成直り』であつて、原判示の如く中線で下り第六〇二急行列車を待避し、同急行列車通過後に発進して入換作業を終了するという内容のものではなかつたこと、第二、被告人は中線において貨車一両を連結後、車掌より発進の合図を受けて発進したものであるから、原判示の如く車掌名畑健二又は同見習高野昭雄が何等規定どおりの発車合図をしないに漫然本件機関車を発進させたものではない。即ち被告人は打合せ事項を忠実に守り車掌の発車合図に従い発車したものであつて被告人に過失はない」旨の主張に帰する。よつて所論第一、第二に分ち原審事実認定の当否如何を審究する。
第一、打合せの内容について。
(一) 先づ原判決挙示の証拠資料中打合せの内容につき公訴の趣旨に適合するが如き内容をもつ最も顕著な証拠を挙げれば、
イ、原審第二回公判調書中証人高野昭雄、同名畑健二の各供述記載
ロ、原審第四回公判調書中証人酒井稔、同萩外一の各供述記載
ハ、酒井稔、萩外一の検察官に対する各供述調書
ニ、原審第五回公判調書中証人吉崎貞夫の供述記載
ホ、吉崎貞夫の検察官に対する供述調書
等が存在し、これらの資料を綜合すれば本件公訴事実にかゝる打合せの内容は恰かも其の証明が十分であるかの如き観がある。併し乍ら前記の各資料が果して措信するに足る証拠価値を具えたものであるか否かの点を更らに吟味する。
右イ乃至ホの各資料を綜合すれば打合せの順序乃至経過の事情は、本件事故発生の数十分前たる当日午後七時三十分頃森本駅の駅長事務室において当務駅長たる助役萩外一より連結手吉崎貞夫、転轍手酒井稔に対し打合せ事項が伝達せられたこと、其後午後八時六分頃第二九七貨物列車(機関士被告人)が森本駅下り一番線に入り停車した際、連結手吉崎貞夫より右列車の車掌名畑健二に打合せ事項を伝達したこと、車掌名畑健二は自ら機関士たる被告人のもとに打合せ事項を伝達せず、見習車掌高野昭雄を機関車に派して被告人に伝達せしめたこと、被告人が右高野昭雄より打合せ事項の伝達を受けた際、被告人の傍にあつて高野昭雄の伝達せる打合せ事項を聞いていた者は機関助士たる前田富雄のみであり、本務車掌名畑健二は勿論、吉崎貞夫、萩外一は其の場に居合せなかつたことが夫々認められる。ところで本件において最も重要なることは右認定の伝達経過における最後の段階の高野昭雄と被告人との間の打合せ事項の内容である。而して此の最後の段階の打合せ事項の内容は常に必ずしも駅長事務室における最初の打合せ内容又は其後の中間の打合せ内容と同一であると断定するを得ない。(其の間において誤解又は誤伝も存在する可能性がないとは云えないからである。)従つて前掲イ乃至ホの各証拠中最も重要にして且つ直接証拠となるものは高野昭雄の供述を記載する証拠書類のみであつて、前示イ乃至ホ中其の他のものは本件打合せの内容を立証する直接証拠ではないから其の証拠力は必ずしも有力であるとは云えない。之に反し前田富雄は機関助士として被告人の傍にあり高野昭雄と被告人との本件打合せ内容を聞いていたわけであるから原審第五回公判調書中証人前田富雄の供述記載(記録六六〇丁裏三〇問答以下、六七六丁裏一三五乃至一三七問答)検察官に対する前田富雄の供述調書(記録六九三丁)は直接証拠として重要なものと謂わねばならぬ。そこで次に高野昭雄と被告人との間の本件打合せ事項の内容についてであるが原審第二回公判調書中証人高野昭雄の証言部分によれば右打合せ事項は第三一列車(下り列車)発車後下り本線使用、中線で貨車一輛連結し急行六〇二列車の通過を待ち同列車通過後本編成直りであつた旨の供述記載が認められるに反し、前田富雄の供述を記載せる前掲各証拠によれば右打合せ事項の内容は第三一列車発車後下り本線使用、中線で貨車一輛連結後本編成直りであつて、急行六〇二列車を中線で待避する旨の打合せ事項はなかつた旨の供述記載が認められ、両者の供述記載は急行六〇二列車を中線で待避するか否かの点で全く相反することが明らかである。従つて被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書及び被告人の原審公判廷における供述記載はいずれも一貫して右前田富雄の供述内容と合致していることが認められる。これらのことに尚後記の如く高野昭雄の業務経験が僅か十数日に過ぎないことを考え合せれば原判決挙示にかゝる原審第二回公判調書中の証人高野昭雄の供述記載は未だ以て原判示の打合せ事実を認定するに足る十分の信憑性を具えるものとは認め難い。要するに原判決挙示の証拠では原判示打合せ事項の内容を証明するに足らぬ。
(二) 記録によれば本件事故前における森本駅における列車発着は何れも殆んど定時に行われていたものであること、本件第二九七貨物列車は所定時刻の午後八時六分頃森本駅に到着したこと、同列車は午後八時三十六分発の予定であつて其の間約三十分の時間があり其の間に本件貨車入換作業を完了する手筈になつていたこと、更らに其の間に七尾線下り第三一列車は午後八時十二分に着発し、下り第六〇二急行列車は午後八時二十七分三十秒に同駅を通過するので、右の第三一列車が同駅発車後第六〇二急行列車が同駅を通過する迄に約十五分間の時間的余裕のあつたことが認められ、殊に原審第六回公判調書中証人安田米吉の供述記載によれば従来森本駅構内における第二九七貨物列車の機関車による貨車入換作業においては簡単な作業と複雑な作業とにより打合せを異にし、簡単な作業の場合には他に特段の事情のない限り第六〇二急行列車の通過を俟たず下り一番線に本編成直りをするに反し、複雑な作業の場合(多数の貨車の連結又は解放をする作業の場合)には右急行列車の通過を俟つて本編成直りとする取扱上の慣例であつたこと、本件における入換作業は貨車一輛の連結のみの作業で簡単な作業に属し、此のような簡単な作業には通常約五分間で作業を完了し得るものであることが認められ(記録七六八丁裏以下)又当審検証調書の記載によれば中線において貨車一輛を連結した機関車が下り一番線に戻る所要時間は二分四十六秒であることが認められ(同調書第四項)又原審弁護人正岡正延外二名作成名義の上申書と題する書面中巡査部長国宗操に対する酒井稔の昭和三十二年五月三十日附供述調書写第七項に、本件機関車が中線へ入つてから急行列車の通過する迄十分位間があつたので踏切の箱番へ入り待機していた旨酒井稔の供述記載(記録七九四丁裏)が認められるのであるから、以上の認定事実を綜合すれば、被告人は本件当時下り一番線より下り本線を経由して中線に入り貨車一輛を連結して再び下り本線を経て下り一番線に戻り本編成直りとなるまでには、下り第六〇二急行列車の通過を俟たずに右作業を完了し得る時間的余裕が充分存し、作業実施の面より観れば中線において右第六〇二急行列車の通過を俟つ必要も特段の事情も認められないのである。
(三) 弁護人は被告人が中線において貨車一輛を連結後下り本線を経由して下り一番線に本編成直りをするべく中線を発進する際第三十二号転轍器が反位(下り本線を下り一番線に連結する状態)であつたと主張し、右転轍器が反位であつたことは下り第六〇二急行列車が下り本線を通過し得ない状態であると共に被告人の運転する機関車が右急行列車通過前に下り一番線に本編成直りをする打合せであつたことを示唆するものである旨主張する。記録によれば所論援用にかゝる原審第四回公判調書の証人酒井稔の証言中に転轍手たる酒井稔は下り第三十一列車通過後第三十二号転轍器を所論の如く反位にした旨の供述記載が認められるけれども(記録五一六丁裏八七、八九問答)当審における証人吉崎貞夫の証言によれば被告人の運転する機関車が中線に入るべく第三十二号転轍を通つて下り本線へ入つた後に吉崎貞夫(連結手)が第三十二号転轍器を定位(下り列車が下り本線を通過し得る状態)にした旨供述するところであるのみならず当審証人萱間明は被告人の運転する機関車が中線に入つた後萱間明が駅長室における電気挺子を操作して下り第六〇二急行列車のために進行標識を現示した旨証言しており右当審証人二名の供述を綜合すれば被告人の運転する機関車が中線に入つた後に第三十二号転轍器は所論の如く反位のまゝであつたとは認め難い。併し乍らたとえ吉崎貞夫が右転轍器を反位より定位に切り換えたとしても、そのことから直ちに被告人と高野昭雄との前記打合せが原判示のとおり第六〇二急行列車通過後本編成直りであつたと速断することはできない。蓋し転轍器の状態は打合せ事項と関連性を有するけれども両者は事柄の性質上全く別個のものであつて其の間に必然的に直結するものではないからである。
その他打合せ事項の内容に関し公訴の趣旨に適合した原判示事実を認め得べき確証は存しないから要するに右原判示事実は記録及び当審における証拠調の結果に徴し、其の証明が十分であるとは認め難い。
第二、中線における車掌の出発信号について。
原判決は前記説示のとおり被告人は業務上注意義務に違反し操車掛車掌名畑健二又は同見習高野昭雄が何ら規定どおりの発車合図をしないのに漫然機関車を発車前進させた旨判示している。よつて原判決挙示の証拠中公訴の趣旨に適合する如き内容をもつ最も顕著な証拠を挙げれば原審第二回公判調書中証人高野昭雄同名畑健二の各供述記載等が存し、これらの資料によれば本件公訴事実は恰かも其の証明が十分であるかの如き観がある。併し乍らこれらの各資料が果して措信するに足る証拠価値を具有するか否かを次に吟味する。
原審第二回公判調書中証人高野昭雄同名畑健二の各供述として被告人の運転する機関車は右の貨車一輛連結後、約三十秒乃至一分を経過して前方に動き出し発車したものであつて、車掌名畑健二見習車掌高野昭雄の両名はいずれも被告人に対し何等の出発信号を示していない旨の記載があり(記録三六七丁、四一二丁)他方被告人の司法警察員、検察官に対する各供述調書及び原審第一回公判調書中被告人の陳述原審第七回公判調書中の被告人の供述部分(記録二三丁、八〇三丁)によれば被告人は中線において貨車一輛を連結後、暫らくして見習車掌が「前オーライ」の口答合図をすると同時に緑色の合図灯を上下に振つて進行の合図をしたので、すぐ機関車を起動して進行を始めた旨の供述記載が存し、車掌及び見習車掌両名の供述内容と被告人の供述内容は相互に対立するところであつて、記録上直接証拠として他に之を確認し得べきものがない。(機関助士前田富雄は本件機関車内において被告人と反対側の進行方向右側に位置し右の出発信号の存否を知らなかつたこと記録上明らかである。)そこで他の情況証拠及び経験法則の諸点から考察を加える。
(一) 車掌において仮りに発車合図をしなかつたのに被告人において起動発進したものとするならば、車掌は直ちに急停車の措置をとるべき職責を有するのであるから、斯かる急停車の措置をとることは可能であつたか否か、可能であつたとするならば急停車の措置をとつたか否かにつき検討する。先づ車掌の前記貨車連結当時における位置を検討するに、原審第二回公判調書中証人高野昭雄の「機関車が動き出した時自分は連結した貨車のうしろの方に居た」旨の供述記載(記録三六七丁八四項八五項)検察官に対する高野昭雄の供述調書第四項中「連結の点検を終り連結オーライと呼称した際名畑は私の右側二、三尺位の所に居た」旨の同人の供述記載(記録七〇六丁)検察官に対する名畑健二の供述調書第五項中「高野が連結オーライと叫んだ時自分は高野の一、二歩横か後ろに居た」旨の同人の供述記載(記録七一七丁裏)原審検証調書中高野昭雄、名畑健二の指示説明(記録三〇四丁裏、三〇五丁裏、検証見取図第二図中ヘ、カ点参照)当審検証調書添附見取図の記載
を綜合すれば、当時高野昭雄及び名畑健二の両名は貨車の前端附近に近接していたことが明らかである。
次に本件機関車が発進した当時の速度についてみるに、検察官に対する前田富雄の供述調書第十四項によれば「連結後発車した時の速力は判然しないがいつも構内入替をするときより少し早かつたように思う、二十粁余りの程度ではないかと思う」旨の同人の供述記載(記録七〇一丁)原審第二回公判調書中証人名畑健二の供述記載によれば本件機関車の最高時速は三十粁位であると思う旨の同人の供述記載(記録四三一丁)検察官に対する被告人の第一回供述調書によれば「踏切附近にさしかかつた頃の時速は二十四、五粁位であつたと思う」旨の被告人の供述記載を綜合すれば事故当時の本件機関車の弥勒(みろく)踏切附近における時速は約二十粁乃至三十粁であると認められる。他方当審検証調書によれば本件機関車の機関士席の位置より弥勒踏切迄の距離は九十八米であるところ、当審検証の際の実験によれば機関車が発車後五十米乃至六十米附近で時速十六乃至十八粁の速度になるような運転で発車した場合、連結貨車後尾より一米六十糎左後方にあつて発車と同時に貨車を追い駈ければ貨車最後尾装置の制動管を抜き急停車せしめる迄の所要時間八秒、所要距離六米六十糎であり、又機関車の機関士席の地点に追い着くには約十五米、機関車に追い抜かれるには百六米余であることが認められるから、前記称勒踏切附近における時速二十粁乃至三十粁の本件機関車の場合と雖も、起動当初の速度は零で徐々に速度を増すものであること経験則上明らかな点を合せ考えるならば右検証時が昼間であり本件事故が夜間であることを考慮に容れても本件機関車の起動発進後名畑健二の後記供述記載の如く約三十米を無我無中で疾走すれば、名畑健二又は高野昭雄が本件機関車の横に出て被告人に大声にて停止すべく注意を与えるとか又は少くとも連結貨車の制動管を抜く等の手段により急停車の措置をとり得たであろうことを推認するに難くない。
さて然らば次に車掌等両名は急停車の措置をとつたか否かの点を検するに、原審第二回公判調書中証人名畑健二、同高野昭雄の各供述記載、右両名の検察官に対する各供述調書によれば、「機関車が発車したので名畑車掌は『赤々』と叫んで之を追いかけ且つ同人のあとから機関車を追い駈けてくる高野見習車掌に対し赤色の合図灯を示すように指示しつゝ無我夢中で約三十米程走つて弥勒踏切の手前迄行つたところ、機関車は上り第五一四列車と衝突した」旨の供述記載が認められるけれども、右の名畑健二、高野昭雄両名の供述記載の信憑性は前段説示の推認事実及び後記説示の諸点に照して必ずしも全幅の信を措き難い。即ち名畑健二の供述記載の如く同人が機関車の発車後間もなく『赤々』と叫んで約三十米を追い駈けたならば、当時夜間であり其の進路上に障碍物が存し同人の疾走速度を若干妨げる事情にあつたことを考慮に容れても尚急停車の措置をとり得た筈であるにも拘らず、同人が約三十米を追い駈けた際本件機関車が第五一四列車と衝突したという事は、同人の疾走開始時点が機関車の発車直後ではなく、むしろ相当進行した後であつて弁護人所論の如く機関車が第三十三号イ転轍(当時定位であつた)を越えた際、機関車が進路方向を右側(上り本線に通ずる線)に転じたのを見た時点又はそれに近接する時点ではなかろうかとの疑念をさし挾む余地が存する。此のことは原審第四回公判調書中証人萩外一の供述記載として「機関車が踏切の前後のところを動いているとき其の音響によつて機関車が動いていることを知り自分も『赤々』と云つたが、向うの方でも『赤々』と云つたのを聞いたように思う」旨の同証人の供述記載(記録五四三丁一〇七項以下)によつても裏書し得るところである。
(二) 次に原審第五回公判調書中証人前田富雄の供述記載によれば検察官の問に対する同証人の供述として「問、衝突してからどうしたか、答、石田機関士が先におりて行きました。私も後からおりて行つたところ、向うから車掌が赤ランプを(中略)持つて来たように見えました、そして石田機関士は踏切の手前で『お前らは、はじめ青を出していたのにどうしてこうなつたのか馬鹿野郎』と云いました。すると一人の車掌は『はじめ青を出していたが後で赤を出した』と云いました。問、それは間違いないか、答、はつきり聞きました。問、そう云つたのは車掌に間違いないか、答、間違いありません」との供述記載(記録六六七丁七五項以下)が認められ、此の供述記載は、検察官に対する前田富雄の供述調書第十一項(記録七〇〇丁)司法警察員検察官に対する被告人の各供述調書中右同趣旨の各供述記載(記録一〇二六丁、一一二三丁)、検察官に対する名畑健二の供述調書第八項中「衝突直後石田機関士が機関車から降りてきて自分達の貨車の横の方の処で、追いかけてきた私に馬鹿野郎と怒鳴つていました」なる旨の供述記載(記録七二〇丁裏)弁護人正岡正延外二名連名の上申書と題する書面中、広瀬清の昭和三十二年五月三十一日付巡査田中秀夫に対する供述調書写第五項中「恰度踏切のところから少し津幡寄りのあたりで、一台の貨車を連結した機関車が煙をふいているし、更らにその貨車の後方からびつこをひき乍ら出て来た男がありました。その男は森本駅の方に歩いて来たのです。此の附近一帯は暗くてはつきり判りませんでしたが、その男が近づくに従つて腕章が巻いてあることが判つたので、機関士やと思つて見ていたところ、今度は反対の駅の方から三人の駅員と思われる男が走つて来ました。すると機関士は走つてきた三人のうち電気を持つている男に対しお前と呼び、あとは何やかやと興奮した言葉で怒つて居られましたし、一方電気を持つた男は、それを聞いてあとの二人の駅員を指差し、お前も見ていたなと何か聞いて居られたのです」なる旨の供述記載に照して信憑力あるものと認められる。そうだとすれば車掌が被告人に対しはじめに青信号(出発信号)を出していた旨の前記証人前田富雄の供述記載は、青信号を見て起動進発したという被告人の前叙供述と符合し得るところであつて、被告人の供述を単なる弁疏としてたやすく排斥することはできない。
(三) 更らに被告人の機関士としての経歴をみるに司法警察員に対する被告人の供述調書(記録一〇五〇丁)及び原審第八回公判調書中被告人の供述記載(記録八〇四丁)を綜合すれば、被告人は昭和十二年三月国鉄職員に採用せられ昭和十三年八月機関助士となり(昭和十七年一月より昭和二十年九月臨時召集により軍隊にあり)昭和二十一年機関士科試験に合格、昭和二十三年機関士見習となり昭和二十九年四月より機関士となり本件事故発生の昭和三十二年五月三十日迄継続して高岡機関区の機関士として勤務してきたものであつて機関助士、機関士見習及び機関士として多年機関車の運転業務に従事していたものであることが認められる。而して駅構内における貨車入換作業については機関士は専ら操車掛たる車掌の発進停止の合図によるべきこと、発進にあたり機関士は必ず汽笛を吹鳴すべきこと、これら一連の運転作業は運転業務に従事する者の永い習慣の積み重ねによつて築き上げられるものであつて運転に関する一挙手一投足は業務上の慣習によつて機械的になされるものなることは、当審公判廷における証人佐伯三郎の供述、原審第六回公判調書中証人本野喜三の供述記載、司法警察員に対する被告人の供述調書(昭和三十二年五月三十一日附、第七項記録一〇二八丁)を綜合して之を認め得るところである。又多年同一の機械的業務に従事する者は業務上の慣習を習性とするに至り、かゝる習性に従つて行動するものであることは経験法則の教えるところである。以上の諸点を綜合して観察すれば多年運転業務に従事する被告人は駅構内入換作業においては常に操車掛たる車掌の合図に従つて機械的慣習的に作業をなしていたものと推定することができるのであるから、車掌の発進合図がないのに被告人が汽笛を吹鳴することなく発進した旨の前記高野昭雄、名畑健二の各供述記載は右推定に反するところであり且つ前記説示の諸点をも合せ考えるときは、右供述記載を措信すべき特段の事情の認められない本件においては、十分なる証拠価値を見出し難い。(之に対し高野昭雄の車掌見習としての経歴をみるに同人は本件事故当日の十数日前たる昭和三十二年五月中頃に始めて車掌見習を命ぜられたものであること原審第二回公判調書中証人高野昭雄の供述記載により明らかであるから之により同人の車掌見習としての経歴が極めて浅く、従つて未だ十分に其の業務に習熟していないことを推認し得る。)
以上各説示する諸点を綜合考察するときは、原審第二回公判調書中証人高野昭雄、同名畑健二の各供述記載は、之を以て被告人に原判示のような業務上過失の存することを断定するに足る証拠価値を認め難く、他に右罪責を断定すべき極め手となるべき確証がない。
叙上説示のとおり第一、高野昭雄と被告人との打合せの内容、第二、中線における車掌の出発信号の不存在につき原判決事実認定は夫々証明不十分であるから、従つて被告人において原判決注意義務に違反し打合せの内容を軽卒に速断誤解した過失及び中線において車掌の出発信号がないのに拘わらず漫然機関車を発車前進した過失があると云うことについてはいずれも証明不十分であると謂わねばならない。(尚転轍器の標識を確認すべき責任者について附言するに、運転取扱心得((証第三号))第八十三条第五百九条及び原審第四回公判調書中証人本多政雄の供述記載、記録五六〇丁二六問答、当審における証人佐伯三郎の証言を綜合すれば本件のような入替作業の場合には機関士は転轍標識の確認義務のないことが認められるから被告人にはかゝる確認義務違反の過失責任を論ずる余地がない。)事実誤認の論旨は理由があり原判決は破棄を免れない。
よつて他の論旨に対する判断を省略し刑事訴訟法第三百九十七条第一項第三百八十二条に則り原判決を破棄し同法第四百条但書により当審において自ら判決する。
本件公訴事実は「被告人は日本国有鉄道金沢鉄道管理局高岡機関区詰機関士であるが、昭和三十二年五月三十日午後八時二十分頃石川県河北郡森本駅構内において金沢発直江津行第二九七貨物列車のD五〇・二〇〇号機関車に乗り組み貨車入換の作業に従事中同駅軌道中線で貨車一両の連結を終えたが、同所でそのまま待避し下り第六〇二急行列車の通過を待つて発進すべきであつたのに、同列車の通過前に急いで下り本線を経由して下り一番線に帰り本編成をするものと誤信していたところから直ちに発車前進を開始しようとしたが、かかる場合機関士としては操車掛車掌の発車合図を十分確認した上で発車すべき業務上の注意義務があるに拘わらずその確認を怠り、車掌名畑健二、車掌見習高野昭雄等が何等発車合図をしていないのに漫然機関車を発車前進させた過失に因つて同駅構内第三十四号転轍器附近で折柄同所の上り本線を通過しかかつた第五一四大阪行旅客列車の第九両目以下第十二両目迄の客車に自己の運転する機関車の前梁右端、右側蒸気室附近を接触衝突させて右旅客列車の第九両より第十二両目迄の客車四両の側壁を破壊脱線させると共に第十一両目客車を横に顛覆させ同列車に乗り合せていた別表記載の乗客吉室元輔外三十一名に対しそれぞれ別表記載の傷害を負わせるに至つたものである」(別表省略)というにあるところ、前記説示のとおり打合せの内容の誤信、及び車掌の発車合図がないのに漫然機関車を発進させた点に関する証明が十分でないから刑事訴訟法第四百四条第三百三十六条後段に則り被告人に対し無罪の言渡をなすべきである。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 山田義盛 辻三雄 干場義秋)